【13】俺の楽器はギターじゃなかった話

 シリーズ「なぜ私は、働く8時間にこだわるのか」第3話

以前の記事で、研修をジャズのジャムセッションに例えました。
今日はその原点、私が「音楽」を諦めた話をします。

中学からギターを弾いていました。本気でミュージシャンになるつもりでした。コンテストに出て、ライブハウスで歌って。でもあるとき、教わっていた方に言われたのです。「そんなお前みたいな考えじゃダメだから、やめろ」。

プロの道は、そこで終わりました。

厄介なのはここからです。夢を諦めた人間は、目の前の仕事に身が入りません。
「俺は本当はこんなことをやりたいんじゃない」。そう思いながら働く社員が、良い仕事をするはずがない。当時の私は、どの会社でも「出来の悪いやつ」でした。もし貴社に、能力はありそうなのに身が入っていない社員の方がいたら——かつての私かもしれません。

45歳、ライブハウスの記憶

転機は45歳。会社で久しぶりに研修講師をやったときでした。

登壇しながら、妙な既視感がありました。あれ、この感覚、どこかで——。思い出したのは、ライブハウスでした。スポットライトこそないけれど、オーディエンスが全員こちらを見ている。ギターは持っていないけれど、一日中、喋っている。歌っているのと同じだ。

そして研修後、受講生の方が言ってくれたのです。

「今日、すごく面白かったです。やってみようと思います」。

雷に打たれたようでした。ライブで一番嬉しかったのは「歌が上手いね」ではなく、「お前を見て、俺も頑張ろうと思ったよ」という言葉でした。私が欲しかったのは音楽そのものではなく、誰かが変わるきっかけになる瞬間だったのです。

俺が持つべき楽器は、ギターじゃなかった。研修だったんだ。

「本当にやりたかったこと」は、違う顔でやってくる

このことに気づいて以来、私は研修の場で受講生の皆さんにこう伝えています。

自分が何をやっていて楽しかったか、24時間やっても苦にならなかったことは何か、覚えておいたほうがいい。スイッチは、全然違うものの姿をして降ってくることがあるから。私の場合、ミュージシャンの夢は破れたのではなく、研修講師という形で叶っていました。気づくのに20年以上かかりましたが。

人材育成の観点で言えば、こういうことです。社員の「身が入らない」は、怠慢ではなく、楽器の取り違えかもしれない。その人の本当の楽器を一緒に探すこと——それは配置転換の話でもあり、その人が今の仕事の中に自分の楽器を発見する支援の話でもあります。後者こそ、研修にできることだと私は思っています。

あなたの会社の楽器の話、聞かせていただけませんか。