【12】勉強しなきゃいけない理由がわからなかった話

シリーズ「なぜ私は、働く8時間にこだわるのか」第2話
高校3年間、私は一切勉強しませんでした。
誇張ではありません。学年で下から2番目とか3番目。評定平均は2.7。担任の先生に「どこか推薦で入れてくれる大学はないですかね」と聞いたら、「日本中探しても、ない」と明確に言われました。大学受験は現役で全滅、一浪しても8校全部落ちました。
なぜそこまで勉強しなかったのか。バカだったから——半分は当たっていますが、もう半分は違います。私は「勉強しない」ことを、選んでいたのです。
きっかけは、切手のアルバムでした
中学生の頃、父に喜んでもらおうと思ったことがあります。父の数少ない趣味が切手収集でした。ただし、使用済みの切手。私も小学生のころ同じように使用済みの記念切手を集めていました。中学校のクラブ活動で切手の展示の仕方を習い、未使用の古い切手を買ってきて作品を作って、父に見せたのです。
ものすごく理不尽に怒られました。「こんなやり方でどうするんだ。この未利用の古い切手どこで手に入れたんだ」と。
一生懸命、喜んでもらおうと思って作ったものでした。それ以来、父に「何のために勉強するのか」と聞いても、まともな答えは返ってきませんでした。誰も答えてくれないなら、やる理由がない。かといって荒れれば母が悲しむ。それで私は「勉強しない」という、静かなグレ方を選んだのです。
学びが面白くなった夜
流れが変わったのは、唯一受かった夜間大学ででした。
法律の最初の授業で、先生がいきなりこう言ったのです。「人間の権利というのは、どこから始まるんだろうね」。生まれたときか、お腹に宿ったときか。民法には「私権の享有は出生に始まる」とある。ではお腹の赤ちゃんは——。
面白い、と思いました。高校まで一度も感じたことのない感覚でした。
もう一つ、忘れられない光景があります。18時からの授業に、同級生たちが毎日30分遅れて、スーツのままダッシュで駆け込んでくるのです。彼らは昼間働いていて、それでも大学に来たくて来ている人たちでした。昼まで寝ていた私は、猛烈に恥ずかしくなりました。
学びというのは、理由さえ腹に落ちれば、こんなにも人を走らせるのか。
「何のために」を配っていますか
人材育成のお仕事をされているあなたに、お聞きしたいことがあります。御社の研修は、「何を学ぶか」と一緒に、「何のために学ぶのか」を配れているでしょうか。
かつての私のように、「何のためか」に誰も答えてくれない環境では、人は学びを止めます。それは能力の問題ではなく、極めてまっとうな反応です。逆に、理由が腹に落ちた人は、スーツのままでも走ります。
研修の設計を「内容」からではなく「理由」から始める。私の研修が、スキルの前に必ずマインドの話から入るのは、勉強しなかった3年間の私自身が、教室の一番後ろに今も座っているからです。